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JD1 への想いを新たに
JH1HUK 大島 譲
 各局いかがお過ごしですか。身分不相応な、とんでもないことを企ててあれから10年が
経過しました。しかし、実感としては、そんなに時間が経ったのかといったところです。
今回、思いがけない各局のお働きで、あらためて小笠原への旅をメモリーとして取り上げ
ていただくことに、心から感謝しております。
 当時の多くの記録など資料に目を通しながら、鮮烈な感動が蘇ってきました。
中でも、当時の交信状況の音声テープは、大変貴重な記録でもあり、制作保存していただ
き、今回改めてここに公開していただくことに敬意を表します。提供いただいた音声テー
プの再生にあたり、技術的にも大変なご苦労をかけました各局に、心からお礼を申し上げ
ます。 
 万感の思いをこめて小笠原へ旅立った一人の男を、支援し、移動運用のイベントに参加
していただいた各局に、今一度、感謝とお礼を申し上げます。この小笠原・父島への移動
運用は、あくまでも一つの実験でした。1993年から始めた離島での運用という下敷きがあ
りました。今は、その現場も噴火で形を失ってしまった三宅島(東京都)での運用が初め
てでした。以来、三年にわたるいくつかの離島運用で、いつしか夢は大きく膨らんでいき
ました。大海を小舟で漕ぎ渡り、星と太陽を仰ぎながら、潮と風に翻弄され未知の島をめ
ざしたポリネシアンのように、でした。
 
 あらゆることが便利になった、そして快適な旅が安易にできる世の中で、敢えて苦労の
多い旅になぜ出かけるのか。いくら思い返しても、理由はただ一つです。アマチュア無線
の、それも、430メガヘルツでの交信の魅力に惹かれたからです。とてつもない交信が達
成できるHF帯をはじめ、他バンドでの楽しみを二の次にしてでも、のめり込んでしまいま
した。
 このUHF 帯を含む、高周波帯での運用は、非力で微弱な電磁波のやりとりです。
交信のための難易度は、周波数が高くなればなるほどご存知の通り大変な世界です。
普段なにげなく使っている430メガヘルツの交信が、はたして、どこまで可能なのか。
自分の中で、それは、素朴で、自然な問いかけになっていきました。
 
 小笠原へ出かける前の数年間は、いわば助走時代、つまり駆け出しでした。
多くの試行錯誤、そして各局からの温かい支援をいただきました。中でも離島での運用を
決定的に確信できたのは、1995年7L1KSV局、匹田さんとお会いし制作されたアンテナに巡
り合えたことでした。
 以来、この10年の間、このアンテナとともに移動運用を続けています。
そして、これからも離島への運用の旅を夢見ていきたいとおもっています。
 では、なぜ「小笠原運用」だったのかです。JD1エリアからの、430メガヘルツでの運用
は、当時(1996年)から遡ること8年前に、JA8HAN局はじめ各局が、初めて交信されて以
来途絶えていたことです。当然、その間には何回か各局がチャレンジされていたようです
が、交信は不成立だと聞いていました。1エリアはじめ各エリア各局にとって、いかにし
てJD1を430メガヘルツでゲットするかに高い関心があることは、今と同じでした。
 決して楽なことではないが、どうせチャレンジをするなら、難易度の高いこのJD1での
運用の夢に賭けることにしました。
 サイコロは振られました。小笠原への出発の年、3月の終わりに、静岡県熱海市の滝知
山での、アンテナの組み立て、調整、試験運用にこぎつけました。春とはいえまだまだ肌
寒い場所で、7L1KSV局はじめ各局が終日力を貸していただきました。
 単独で島へ渡り、28エレ4列2段を組み上げることができるだろうか、様々な不安が立ち
はだかりましたが、合計20数個口の荷物とともに、無事にたどりつくことができました。
 
 JK1JPF局、庄野さんに制作していただいた当時の運用記「小笠原八弦の旅」(A-4、8
ページ)には、その感動の旅の記録が残せました。今、この小笠原運用を含めた10年の旅
を、将来できることなら、1冊の本にまとめたいと原稿を書き始めているところです。自
分史の世界の一部ですが、どんなものになるかわかりませんがお待ちください。
 
 小笠原移動運用から10年目にあたる今年、再び、貴重な音声の記録と共にここに筆をと
る機会を与えてくださったことに、心から感謝しています。
 こんな素晴らしい旅ができたのは、無線運用で、夢のまた夢の世界への挑戦があったか
らできたのであって、一人旅ではありましたが、決して、一人ではありませんでした。
 期待していただいた多くの各局の支援と応答があったからこそであり、非力な電波が
1000km もへだてて届いたのは、幸運にも発生したダクト現象に大きく助けられたことで
す。聞えるかどうかは、分からない世界。やってみる以外に確認できない世界。それは、
不思議な、未知の夢の世界です。

 この運用の旅で与えられたことは、思うだけでは何も起きない、やってみようとする
チャレンジへの実行でした。決して結果を怖れないでことです。やってみて、もし聞えな
かったら、私なら、こう考えるようになりました。
「普段は聞えなくても当たり前なのだから、やっぱり聞えないか」と。
しかし、もし、それが聞えたら、どうでしょうか。呼ぶ方も、呼ばれる方も少なからぬパ
ニックにきっと陥ることでしょう。そして、夢のようなビッグオープンに遭遇できたので
した。
 
 今回のリポートのために、交信局のリストを精査し直しました。全交信局数は、重複も
ありましたが、9日間の運用で、332回でした。大変な数のOM各局が応答していただきまし
た。特に、1エリア内でのパニックは手のつけられないほどの混乱を招いたようで、録音
がそれを物語っています。
 
 父島では民宿にお世話になりながら、毎日運用場所である三日月山の北斜面中腹まで通
いました。車を提供していただいたり、現地の下見などでJD1BIA 局・田久保さんにもた
いへんお世話になりました。最近、赴任先の母島から、再び父島へ戻られたようです。
 滞在中に記した「小笠原日記」は、いずれ原稿にするとして、CQ誌をはじめ、このMLで
も、そして、NIFTY 会議室でも賑やかにとりあげていただき、各局の、きわめて興味深い
やりとりを拝見でき嬉しかったです。
 この10年の間に、不幸にして亡くなられた数名のOM局のご冥福をお祈りいたします。
貴重な気象記録を中心に提言をいただいたJA4CDY/1・吉田さんにも感謝いたします。私が
沖繩・北大東島での移動運用を始めた頃に亡くなられ、ご霊前に、運用記「若夏の日々」
を供えさせていただきました。
 
 小笠原から帰り、報告を兼ねグランド・アイボール会をJK1JPF局はじめ各局で企画して
いただき、総勢70名近い各局が、秋葉原「万世」に集まられました。一生忘れることので
きないアイボール会になりました。おそらく、1エリアで、これだけのOM各局が集まられ
る機会はないのではないでしょうか。誠に身に余る光栄でした。本当にありがとうござい
ました。勿論、お元気な各局の、今後の益々のご活躍願うばかりです。
 当時の運用の詳細については、CQ NETなどご紹介いただきましたが、いずれリライトし
たものでお伝えしたいとおもっています。10年前に発行された運用記「小笠原八弦の旅」
は、残存部数がきわめて少ないため十分頒布できませんが、いずれ機会をみまして提供さ
せていただきます。よろしく。
 これは特記ですが、出かけました「小笠原父島」からの430ssb の信号を幸運にも翌年
の7月にゲットでき、みごとに交信が成立しました。このようなことはまず無いと思って
いただけに、感激の交信でした。ちょうど3エリアへの出張から帰宅途中に、静岡県内各
局から、JD1からの59での入感状態を知らされました。自宅へ帰り着くまでコンディショ
ンがもつかどうかが不安でした。
帰宅後、ほぼ深夜に近い午後10時35分、JN3UJD/JD1,51-51でした。これを聞いておられた
各局から「おめでとう!」の祝福をいただきました。やはり、交信できるんです。
 
 私のような局でも交信ができるのですから、チャンスがあれば、おそらくどなたが現地
へ行かれても素晴らしい交信ができることを確信しました。
たまたま、コンディションが良さそうな気象条件の時にでも。残念なことに現地で運用さ
れる局がおられないのです。今年も含めて、6月から7月にかけての気象図をみながら、こ
れなら、ひょっとしたらイケルのではないかと思わせる日があります。
 昨年のハムフェアに、JD1 父島常置場所のJD1BKW局・北川さんが来場されました。
皆さんからの期待があまりにも大きすぎて尻込みされたのではないでしょうか。なんらか
の設備を充実して430ssb でも運用されたい意志を持っておられるようでした。
今後に期待したいです。

 これからの小笠原・父島への足は、現在の小笠原海運・6000トンの小笠原丸と並行して、
どうやら、過去に頓挫した、飛行場を建設し中型ジェット便を運航する計画を再び持ちだ
すようです。昨年進水したばかりの、総トン数14,500ton 、SUPER LINER OGASAWARA の就
航が中止になったのは残念でした。折からの燃費高騰のあおりを受けて、運行委託業務を
小笠原海運が断念しました。105億円の建造費の高速船は一体どうなるのでしょうか。
 最近の新聞報道によれば、「林野庁は…….空港建設候補地として名前が挙がっている
父島西部の州崎地区やその周辺部については、開発を厳しく規制するコアゾーン(保存区
域)に指定しない方向で最終調整することを決めた」とあります。更に、「世界遺産登録
を検討するために、小笠原諸島の総面積のうち、最大で7割近くをコアゾーンとする最終
報告をまとめる見通しだ」とも密接な関連があるようです。7月下旬頃に、更に現実的な
結論を出す予定といわれています。
 いずれにしても、小笠原への、より利便性の高い運送手段が講じられないことには、と
思います。しかし、決して、それだけで全ての問題が解決するわけではなさそうです。
 「日本で一番遠い島、小笠原諸島」と人は云いますが、片道1000kmの遠路が、いつまで
も小笠原らしさを維持することにつながるのではないかともおもわれます。
いたずらに無責任な観光産業や商業資本の食いものにされることがないことを切に願うと
ころです。
 近い将来に、再び小笠原からFBな430ssbの電波が飛来する日をひたすら待ち続けたいで
す。